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続いては、5月20日に、京浜急行電鉄(京急)の久里浜工場(京急ファインテック久里浜事業所)で行われた京急ファミリー鉄道フェスタ2018で展示されていた2000形の復刻ツートンカラー編成である2011Fで、今年3月28日に定期運用が終了して以来初めて撮影会で展示されたという喜びがありました。
行先は、京急久里浜、快特、5Aと、全盛期の2ドアクロスシート車時代を彷彿とさせるものとなっていたけど、全盛期には、黒幕で、久里浜、快特、○Aの表示となっていました。
京急2000形がデビューしたのは、1982(昭和57)年12月27日(800形デビューの4年後)であり、量産先行車として落成されていた2011Fの1編成8両が、旧600形に交じって活躍していました。
こちらは、1989(平成元)年10月5日の出町柳への延長開業当時の京阪特急の8000系(こちらもたった1編成しかなかった)と、旧3000系(2013(平成25)年3月まで活躍していた特急型車両)と同じような関係であり、京阪では、8000系や旧3000系に連結されていた8000系の中間車に人気が集中し、旧3000系を見送る乗客が目立っていたことがありました。
当時の京急でも、2000形に人気が集中し、デビュー当時の京阪8000系と同様の現象となっていたと思われます。
京急2000形は、斬新なスタイル等が評価されていたことにより、1983(昭和58)年度のブルーリボン賞が受賞されたのであります。
因みに、1983年度のローレル賞は、国鉄(日本国有鉄道、JNR)の200系新幹線(初代の東北・上越新幹線用の車両でJR東日本に継承され、2013年4月まで活躍していた)と、熊本市交通局(熊本市電)の8200形であり、熊本市電の8200形に関しては、日本初のVVVFインバータ車として有名であります。
熊本市電では、1997(平成9)年にデビューした9700形(日本初の超低床路面電車、ブレーメン型)もローレル賞が受賞されていました。
1984(昭和59)年には、量産車である2021Fが導入され、1986(昭和61)年までの間に8両基本編成が6本出揃ったところで旧600形の全てが置き換えられていました。
2000形の4両付属編成(2400番台)は、12連の通勤快特への充当の為に1985(昭和60)年から1987(昭和62)年に掛けて6本導入されていたけど、1987年に夕方以降の下り快特の12両化によって、最終増備車である2451Fと2461Fが追加製造されていたのであります。
1998(平成10)年3月28日に2100形(現在の快特、京急ウィング号用2ドアクロスシート車)が導入されてからは、2000形が3ドアロングシート車に格下げ改造されていたけど、2011Fが最初に改造され、翌年の1999(平成11)年7月30日に廃止されたD急行(京急川崎~新逗子間、エアポート急行の前身)中心で使われていました。
2100形が10編成出揃った2000(平成12)年8月27日には、2000形2ドアクロスシート車のラストランを迎え、京急久里浜工場(現、京急ファインテック久里浜事業所)では、誰でも参加出来る撮影会が行われていました。
こちらは、京急ファミリー鉄道フェスタの基礎となったイベントであり、翌年の2001(平成13)年から毎年行われるようになっています。
2001年の京急ファミリー鉄道フェスタも自分(しゃもじ)が欠席していたので、2001年,2009年,2011年の3回欠席していたことになりました。
最後まで活躍していた2ドアクロスシート車は、2051Fであり、今年の2月に廃車となった後、京急ファインテック久里浜事業所の片隅(ローソン前から撮影出来る位置)に解体待ちで置かれていました。
2000形の廃車は、2012(平成24)年の2411,2421,2431F(いずれも4両付属編成)を皮切りに行われていたけど、同年5月27日に行われていた京急ファミリー鉄道フェスタ2012に行った時にこのことを知りました。
そのうちの2431Fには、ブルーリボン賞受賞記念ヘッドマークが取り付けられていたけど、撮影するのを忘れていました。
このように、付属の4連から先に廃車となった理由は、横浜方面~羽田空港発着列車のエアポート急行へのシフトに伴う12両編成の快特の削減のほか、格下げ改造された後も使用頻度が高かったことで走行距離が延びていたことの影響もあります。
2000形が800形よりも先に全廃となったもう一つの理由は、3ドアロングシート改造により、強度が落ちたことであり、かつて阪急電鉄京都本線で活躍していた2800系が、6300系の導入により、2ドアクロスシート車から3ドアロングシートに格下げ改造され、強度が落ちたことと似たような現象となっていました。
一昨年10月に全廃された2000形の4連で最後まで残されていた2451Fは、京急大師線で活躍していたこともあり、最後を迎えた10月10日には、その乗車、撮影を行ったのであります。
2000形の8両基本編成は、D急行の廃止後、2010(平成22)年5月16日のエアポート急行(羽田空港~新逗子間)の新設までの間、朝夕のラッシュ時しか乗る機会がありませんでした。
2000形8連の廃車は、2014(平成26)年の2021Fを皮切りに行われ、昨年は、2031Fと2041F、今年になってからは、新1000形1200番台の導入により、2051F→2061F→2011Fの順で営業運転から離脱されていたのであります。
京急2000形2011Fが復刻ツートンカラーとなったのは、デビュー30周年を迎えた2013年1月のことであり、同年2月3日に羽田空港国内線ターミナル(羽田空港)駅で初めて撮影したことを覚えています。
2011Fの団臨が運転された今年3月25日には、ヘッドマークが取り付けられ、3月26日から28日までの間は通常の営業運転に入っていたけど、それを撮影することが出来なかったのが残念でした。
今年3月25日は、サザエさんの東芝(TOSHIBA)提供時代の最後であったことに加え、同じフジテレビ系で放送されていた伝統の子供向け番組であったポンキッキシリーズが完全に終了した時でもありました。
ガチャピンやムックでお馴染みだったポンキッキシリーズは、1973(昭和48)年4月2日から1993(平成5)年9月30日まで放送されていた「ひらけ!ポンキッキ」からリニューアルを繰り返しながら45年間に渡って放送され、1975(昭和50)年に発売され、大ヒットしていた「およげ!たいやきくん」が生み出されたきっかけでもありました。
ポンキッキシリーズは、2007(平成19)年3月のポンキッキの終了により、地上波からBSフジによるBS番組に移行され、末期は3代目のポンキッキーズとして放送されていました。
京急2000形も、ポンキッキシリーズのように愛されていたことから、そのラストランをポンキッキの最後に例えていたのであります。
今年の京急ファミリー鉄道フェスタでは、京急2000形が展示されると予想していたけど、見事に当たったことに加え、京急ファミリー鉄道フェスタ2012での2431Fの時に撮り逃していたブルーリボン賞受賞記念ヘッドマークを撮影することが出来て良かったです。
このヘッドマークは、1983年に2011Fに取り付けられていたものであるけど、当時はワイパーの向きが逆でありました。
京急ファミリー鉄道フェスタの記事は、お陰様で大好評となっています。
このように、京急ファミリー鉄道フェスタ2018で、京急2000形2011Fの最後の晴れ姿を良い感じで撮影することが出来て良かったです。

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