格下詐欺に御注意

格下
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日本から「格下」が消える日

甲子園ボウルを、もういちど見返しました。&bsp;素晴らしいゲームだったと、心から思います。&bsp;私はいつもフットボールを関学のサイドの視点から見てしまうし、関西学生リーグの中で勝ち上がるために何をしなければならないのか、ということが第一に考えるべきことなので、今年の日大について、あまり深く知りませんでした。&bsp;しかし、試合後の内田正人監督のインタビューを見たとき、何かがわかった気がしたのです。&bsp;この1年、このチームが何を追い求め、何をかけてフットボールに取り組んできたのか、ということ。&bsp;それはおそらく、自らの存在意義をかけた、あるいは今まで生きてきた人生をかけた、壮大な取り組みであったろうと思うのです。&bsp;そういう目でもういちどゲームを見直すと、いろいろなことが見えてきました。単なる勝敗のことではなく、いかに関学が善戦したのかということも含めて。&bsp;※&bsp;昨シーズン、日大はリーグ戦3勝4敗というBクラスに甘んじました。これは、日大フェニックスの歴史には決してあってはならないことであり、おそらく、チームの意識を抜本的に改革するような「なにか」が必要で、しかもその改革は、何よりも急を要するものだったはずです。&bsp;そしてその具体的な施策が、前年に退任したばかりの内田監督の再任であり、内田監督に課せられたミッションは、本当に勝ちたいなら避けて通ることのできない真実を、コーチ、選手、スタッフ、関係するすべての人に伝え、腹をくくる、ということだったと私は思うのです。&bsp;そういうときに、必ず行われることは、「死ぬほどしんどい練習」なはずです。&bsp;本気で結果を残したいのであれば、やはり練習に勝るものはないし、その過酷さに耐える精神力がなければ、勝負には勝てないのです。日大はそれを知っているチームであるはずでしたが、昨年は、忘れてしまったのでしょう。&bsp;人間は、甘い方へと流されやすい生き物なのです。&bsp;死ぬほどしんどい練習というのは、本当に体が根をあげ、動けない状態になったその先にある、精神が体を完全に律する境地に至るまで追い込む練習のことです。&bsp;理屈を超えています。合理性だけでは、説明のできない練習のはずです。&bsp;現代の教育現場や社会の常識の中では、なかなか受け入れ難い、しかし、本当は絶対に必要な真実です。&bsp;反対する人も、当然出てきます。けれど、何か自分を取り囲む見えない壁があって、目的を達するにはどうしてもその壁を超えなければならないのだと自覚した時、人は死ぬほど過酷な「見える壁」を作り出し、自らに、その壁を越えることを求めるのです。&bsp;※&bsp;試合のテレビ中継の中では、今年のフェニックスは、とにかく走り込んだと言っていました。おそらく、この日本にある学生チームの中で、いちばん走るのだ、と決めたのでしょう。&bsp;1日も休まず、毎日2500ヤード走った、と言っていました。&bsp;「走る」という行為は、すべての競技に必要なスポーツの基礎的で重要な要素ですが、で、基礎的であるがゆえに、とても退屈なものです。&bsp;しかし、退屈だからこそ、精神が鍛え上げられるのだと思います。&bsp;2500ヤードというのは、2.4キロほどの距離ですから、ジョギングのことではないでしょう。&bsp;フルダッシュのはずです。&bsp;100ヤードダッシュで、25本。50ヤードなら50本のダッシュです。&bsp;もちろん、1日にこれだけをやっているのではなく、フットボールの練習にプラスして、これをやっているということです。&bsp;想像するだけで恐ろしい練習です。&bsp;これを1月から1日も休まず夏までやっていたと。ここまでやったのだから、負けるのは合わない、と思えることろまで肉体と精神を追い込む。&bsp;彼らはそれをやって、やって、やりきって、甲子園にやってきた、ということなのでしょう。&bsp;※&bsp;今年のフェニックスは、部員が20人ほど辞めていったということも聞きました。新しい監督が出した方針に賛同できなかったから、とどこかで読んだように思います。&bsp;これはつまり、「合理性」だけでは説明のつかない練習を取り入れる、ということへの不満、ということと、私は推測します。&bsp;おそらく、それに耐えることができなかった若者たちが、「方針に賛同できない」というもっともらしく聞こえる言葉を言い訳に利用してチームを去っていったのでしょう。&bsp;しかしそれは「弱い自分の正当化」に過ぎません。&bsp;「走ったら、勝てるんか」という言葉は、「本当は走りたくない」と思っている人間の言い訳です。「走ったら勝てるという確証があるなら、いくらでも走ってやる」それは一見、合理的に見えて、本気で勝利を求めていない人間の言い訳です。&bsp;本当に勝ちたいと思う時、本気になった人間は、勝つことに資する可能性があるなら、どんなことでもやります。頭を坊主にすることだって、その中のひとつなのです。&bsp;「坊主にしたら、勝てるのか」という言葉は、坊主にしたくない人、坊主にする勇気のない人の言い訳です。&bsp;「勝てるなら髪の毛なんてどうでもいい。」&bsp;学生たちの坊主頭は、ただそういう気持ちでしかないのです。&bsp;もちろん、坊主にしたら勝てるという保証はまったくありません。しかし、「腹をくくる」ということを意識することで、日々の生活態度が変わって、体調管理などをしやすくなるという遠因は十分に考えられます。&bsp;あるいは、自分の取り組むべきことに集中するために、雑念を捨てるという効果も、坊主頭にはあるのです。&bsp;髪の毛のあるなしが、勝敗に影響するわけがないと、思う人もいるでしょう。しかし、本当の決戦のとき、相手が全員、頭を丸刈りにしていたら、おそらく髪の毛が普通に生えている学生は怖気付く。&bsp;そのとき、やる前から気持ちで相手に負けないようにするため。ただそれだけの効果であっても、本気ならやるものなのです。誰に命令されなくても。&bsp;少なくとも、そういう境地があることだけは確かなのです。&bsp;そういうことを、やってみないのに否定する人は、「本気ではない」というだけのことなのです。&bsp;話が脱線しました。&bsp;※&bsp;しかし、理由はどうであれ、事実、20人もの部員が去って行ったのであれば、残されたメンバーたちには、ある「責任」が発生します。&bsp;それはチームを去っていった者たちに対して「チームに残ったことが、正しい判断であった」と証明する責任です。&bsp;そういう意味でも、フェニックスは決して負けることが許されなかったのでしょう。&bsp;そんなすべてを背負って、監督、コーチ、チームスタッフ、そして学生たちが、本当に腹をくくって、本音でぶつかりあって、チームを一丸にしていったのだと思います。&bsp;優勝インタビューの時、インタビュアーからの質問を受けて、甲子園で勝つことだけを目標にしてすべてを犠牲にして取り組んできた学生たちやコーチ陣の姿が脳裏に去来し、内田監督のあの涙はあったのではないかと思うのです。&bsp;そして「誇りに思っている」という言葉。&bsp;おそらく、普段は学生を褒めたりすることはないのだと思います。だからこそ重みのある「よくついてきてくれた」「誇りに思う」という言葉だったのでしょう。&bsp;あの瞬間に、今年のフェニックスがいかに本気であったかを私は思い知ったのでした。&bsp;※&bsp;フットボールの世界では、「下馬評」はあてになりません。特に、日本の学生フットボールの世界では、戦前に有利と言われた方が負けるケースが本当に多いのです。&bsp;このことには、やはり、「敗戦が教えること」というものが非常に大きく心に影響するからだと思います。&bsp;例えば、関西学生リーグ。&bsp;昨年、二度にわたって関学に敗れた立命館の学生たちは、いったいどんな気持ちでこの一年を過ごしたのでしょうか。&bsp;おそらく、「打倒関学」を胸に誓い、その気持ちをただの1日も忘れることなく、厳しい練習に邁進してきたことでしょう。そして、ついにその気持ちをぶつけることが現実となったのが、秋のリーグの最終戦だったわけです。&bsp;そのとき、関学の学生たちは、「気持ち」の面で圧倒的に立命館に負けていた。そして、試合の最初のひと当たりした瞬間に、この一年の取り組みのちがいを、痛感したことだったと思います。&bsp;ゲームは48分間あったものの、「勝てない」ということはすでに全員がわかっていたと思うのです。&bsp;しかし、本当にラッキーなことに、今年の関学には、もういちど立命館に挑戦するチャンスが残されていました。立命戦の敗戦後の2週間で、彼らは立命館がこの一年、築き上げてきたものを打ち砕かなければなりませんでした。&bsp;私は、このミッションを、彼らはクリアできないと予想していました。関学の二度目の敗戦を予想していたのです。&bsp;しかし、彼らは並並ならぬ集中力で、たった2週間で文字通り「別人」に変身することに成功したのでした。その2週間というのは、彼らの大学4年間の中でも、いちばん中身の濃い、人生にとって意味のある2週間だったはずです。&bsp;関学は立命館を圧倒しました。&bsp;勝因はただひとつで、「気持ち」だったと思います。たった2週間で一年分の不備をリカバーしたことは、彼らがいかに素晴らしい取り組みをしたか、ということで、私はそれは絶対に胸を張るべきことだと思うのです。&bsp;立命館は、それほどまでに素晴らしいチームだからです。&bsp;リーグ最終戦の敗戦が、関学チームの気持ちを、最高のものに変えたのです。&bsp;しかし、同じことは、関東でも起きていた、ということに、関学陣営は本当の意味で気付けていなかったのだと思います。&bsp;※&bsp;苦しい苦しい過酷な練習を自らに課し、一歩一歩成長していった、2017年のフェニックス。&bsp;チームはリーグの最終戦を待たずに、関東学生の覇者になりました。&bsp;彼らは、学生日本一への切符をまずは手にしたわけです。ずっとずっと甲子園の場で敗れつづけていた彼らに、心の隙などなかったと思いますが、それでも神様は、「念には念をいれよ」という助言をしたのですね。&bsp;それが、リーグ最終戦の法政大学戦でした。&bsp;彼らは今季すでに2敗していた法政にリーグ最終戦で破れるという過ちを犯してしまいました。彼らはあくまでも全勝優勝を目指していたはずで、甲子園に向けて主力を温存したとか、そういうことは一切ありませんでした。&bsp;なので、この敗戦は、優勝を決めた彼らの気持ちを引き締め直すのに大いに効果があったと思うのです。&bsp;気持ちの中の膿を出すことができた、ということです。&bsp;関学も同じことが起きていたはずですが、彼はその効果を、次の立命戦で吐き出さなければなりませんでした。そして勝利で最後を締めくくったのです。&bsp;日大は甲子園の前を「敗戦」でしめくくっていた。&bsp;ここでの「気持ち」の差が、実は甲子園の場で大きく影響したと思うのです。&bsp;※&bsp;日大が11年ぶりに関東代表に勝利をもたらした理由は、実はそれだけではないと思います。&bsp;ご存知のように、関東学生リーグは、数年前に2ブロック制をやめて、ABブロックの上位校だけで構成される1部リーグ制に移行しました。&bsp;それまでの関東リーグの上位チームは、シーズン中盤までは格下の学校と試合をしながら徐々にチーム力を熟成することができましたが、リーグに加盟する全チームが強豪チームとなったいま、開幕戦から、いつ足元をすくわれるかわからない、という状況になっている。&bsp;やっている当人は大変だけれど、おのずとリーグ全体のレベルは上がります。とくに私が思うのは中央大学の躍進です。中央大学は上位校に勝ててこそいないけれど、すべて、僅差で負けている。逆に言えば、すべての上位校は中央大学に負けかけることで、チーム力を冷静に見直し、さらに一歩上のチームへと成長できている。&bsp;中堅のチームが強いということは、リーグの実力をあげるのに大いに効果があるのです。そういう意味で、1リーグ制に踏み切った協会と、とくに今年は中央大学を賞賛すべきだとも思うのです。&bsp;かくして、長く「西高東低」と言われた学生フットボール界が、次のステップに入る準備は整ったと言えるのかもしれません。&bsp;※&bsp;今回の甲子園ボウル。様々なリポートがなされていますが、やはり勝敗をわけたのは、「気持ち」だったと思います。&bsp;しかし、日大に比べて関学の「気持ち」が圧倒的に劣っていたか、というと、決してそうではなかったと思います。厳密に言えば、最初から気持ちで負けていたのではなく、試合の流れの中で、徐々に気持ちを削がれていった、というのが実際だと思います。&bsp;そして、その主要因となったのは、日大のエースQB、一年生の林くんの活躍に尽きると思います。&bsp;かつて、日大が最強を誇った時代。つねに日本最高のQBが日大にいました。&bsp;彼らには、特有の共通点がありました。&bsp;それは、ショットガン体系から、スナップを受けると、まるでボクサーのように軽やかにステップしながら、ひらりひらりとディフェンスのラッシュをかわしつつ、守備バックから見ると、もうこれ以上は無理という時間帯までレシーバーを縦横無尽に走らせ、ノーマークとなったところにパスを決める。&bsp;あるいは、パスデイフェンスが拡散しきったところを見計らって、ものすごい走力でスクランブルを決める。&bsp;その背番号は決まって「10」だったわけだけれど、この林選手は、まるでその「10」だったのです。&bsp;この伝統的な日大のエースQBというのが、対戦相手にとってどのように厄介かというと、「止め方がない」ということなのです。&bsp;通常、関学の守備は、たとえ攻撃にゲインされたとしても、「止め方」はわかっていて、それが上手に遂行されなかったことが原因なら、チームが浮き足立つことはないのです。&bsp;しかし、今回は、明らかにちがった。&bsp;どうやって止めればいいのか、まったくわからない。&bsp;あまりにも林選手のパス力と走力が凄すぎるので、ディフェンダーは確実に林選手がボールを持っていないと確認できるまで他のバックスに対応できない。&bsp;そうなると、別のランニングバックまで止められなくなっていく。&bsp;そういう最悪の悪循環が関学守備を襲いました。&bsp;勝敗の本当の分岐点になったのは、ハーフタイムを挟んだ、後半最初の日大の攻撃だったと思います。&bsp;どういう意味かというと、フットボールにとって、とりわけコーチ陣がしっかりしているチームにとって、ハーフタイムというのは、ものすごく大きな意味を持っています。&bsp;前半にうまくいかなかったことの原因を選手と共有し、どうすれば後半はうまくいくのか、という対策を立てられるからです。&bsp;それをアジャストと言いますが、前半と後半がまるで別のチームのようになることもあり、前半調子が良かったからといって、楽観できないのがフットボールの醍醐味なのです。&bsp;私としては、関学がどのように日大オフェンスに対策するのか、ということに注目していたのですが、残念ながら、後半も前半と同様に林くんを止められない。&bsp;これは、「関学には対策がない」ということを証明してしまっているのと同義で、双方のチームにとってものすごく大きな意味を持っているのです。&bsp;日大にとってそれは、「このままでいい」といういちばん嬉しい情報だ、ということ。それを自覚したからでしょうか。林くんの躍動は、さらに素晴らしいものになっていったように思います。&bsp;なにぶん27年も日本一になっていない日大には、関学の学生たちはリアルな恐怖感がなかったでしょう。それほど苦手意識がなく、心底恐れていなかった現役たちからすると、止められない10番は、彼らが見た、初めての「ホンモノのフェニックス」だったのかも知れません。&bsp;※&bsp;それでも勝負の流れというのは、いつか変わる時がきます。数少ないチャンスが、関学にも巡ってきます。&bsp;それは、林くんの負傷でした。第3Qに、林くんはおそらく軽度の脳震盪だと思いますが、それで戦列を離れました。2プレー後にはハドルに戻りましたが、明らかにそれまでと同じパフォーマンスはできていない。&bsp;あのまま林くんがフィールドにいても、それまでと同様の活躍は無理だったでしょう。かつて甲子園ボウルで関学が大激闘の末に明治をやぶった試合がありました。明治のスーパーランニングバック吉村を止める術がなく、試合は点の取り合い。&bsp;ターニングポイントは、関学守備によるハードタックルで、吉村が脳震盪になったことでした。試合終了間際に、明治がゴール前から、外れるはずのない逆転フィールドゴールを蹴りましたが、これが外れて関学が勝利しました。&bsp;キックを蹴ったのは、吉村その人でした。&bsp;脳震盪になっていなければ、そのキックは入っていたでしょう。そのことを思い出しました。&bsp;林くんは、明らかにそれまでよりも動けなくなりました。控えのQBも素晴らしい選手でしょうが、今日は林くんの日だったのです。&bsp;関学ディフェンスにとって、「止められない原因」は、林くん一人だったと言ってもよく、そこからは気持ち的な劣勢も拭うことができたようで、ようやく日大の攻撃を止められるようになってきます。&bsp;スポーツにたられば、は禁物ですが、林くんの負傷が、試合のもっと早い段階で起きていたら、「気持ち」の綱引きにうちかって、この試合は関学が勝っていた可能性もあったと思います。&bsp;関学守備が機能しだして、試合残り5分ほどで、ようやく関学の攻撃がボールを得ます。この場面での関学のミッションはたったひとつで、残り時間をすべて消費してタッチダウンをすることでした。&bsp;ここから、予定通りに任務を遂行することができたら、これはこれで、関学史上に残る劇的な勝利だったことでしょう。あそこで決めていたら、すべてのストーリーは関学のためにあった、ということだった。&bsp;しかし、やはり、この日はフェニックスの日でした。&bsp;日大キッキングチームの再三のナイスパント。そして、関学オフェンスの息の根を止めた、最後のパスラッシュとそこからのインターセプト。&bsp;こういうことは、実は試合のその場で起きているわけではなく、そのチームの、その一年を象徴していることが多いものです。&bsp;やはり、フェニックスの取り組みが、関学を上回っていたということだと思います。フェニックスは、勝者にふさわしい勝ち方で、学生日本一に返り咲きました。そのことに、心からの賛辞を贈りたいです。&bsp;そして、その日大に対して、まっすぐにフットボールゲームをやり通したファイターズのメンバーにも、心からの賛辞を贈ります。&bsp;私は、最後の瞬間まで腐ることなく、前を向いていた現役たちを誇りに思うのです。&bsp;部歌、Fight Oの一節、Fight clea ad be proud of the victor’s ame&bsp;「勝者の誇りの名の下に、クリーンに戦え」&bsp;その姿勢を体現した学生たち。よくやりました。&bsp;勝ち続けるということは、本当に負けることをせずに、「負ける」ということを想像し、その危機感を抱き続け、己を律することができるチームだけが実現できるものです。&bsp;しかし、それはなかなか難しい。&bsp;だからどんなに強いチームでも、何年かにいちどは負ける必要があって、それなしには、強くあろうとすることは困難なのです。そして、自分の代がその役目を担うことだけは嫌だ、許容できないとリアルに思った時、勝ち続けられる可能性が生まれるのだと思います。&bsp;赤と青の対決、本当に素晴らしい甲子園ボウルをありがとう。

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