救急車で学ぶプロジェクトマネージメント
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先日の 「ビクター・ジョーンズ2DAYS」は、想像以上に濃い夜でした。
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初日のニューヨーク「キタノホテル」 そして、翌日のオハイオ州クリーブランド「ナイトタウン」
どちらも、一曲目から 深夜12時過ぎのライブのような濃厚さと、リラックス具合と、血の熱さと、集中力。
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思えば十数年前にニューヨークに出てくるのはいろいろ大変だったけど、こういう方々の息遣いを感じながらライブをご一緒することができるなら本当にここまで来た意義があったと、しかも、私自分の力がまったく及んでなかったらバンド全体としての力がでないわけで、子育ての傍らでボチボチ活動しながらも、最近また音楽的筋肉がついて腕が太くなったのかなと思わずにはいられない夜でした。
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というライブのご報告写真などを掲載する前に、記憶に新しいうちに書き留めておきたいとことを先に書きます。
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初日のキタノでのライブの日、リーダーでドラマーのビクター・ジョーンズ Victor Joes も、ピアニストのジェラルド・ディアンジェロ Gerard D'Agelo も駐車場に困って街をうろうろしてサウンドチェックに遅刻、その間、ベースのアレックス・ブレイクAlex Blake とステージ上で話をしながら待っていました。アレックスが、ベースをいじりつつ、いつものようにいろいろお話しをしてくれました。あまりに話がすごいので、「ビデオを撮りたい!」と思ったのですけど、さすがにその場でビデオをとるわけにいかなかったので、覚えている限りここに書きます。
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この日のセットリストの中にジャズシンガーのベティー・カーターが書いた「タイト」という曲がありました。アレックスは、数日前のリハーサルで「なんか、僕、この曲知ってるなー。」と思っていたそうで、あとで思い出したら、昔ベティー・カーターのバンドで仕事していた時に演奏したことがあったそうです。1970年代のお話。その時のメンバーは、ピアノはダニー・ミクソン Day Mixo、ドラムはクリフォード・バーバース&bsp;Clifford Barbers、ベースがアレックス・ブレイクで、ボーカルがベティー・カーター。これ以上にない本筋のお話。
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巨匠トランぺッター リー・モーガンが奥さんのヘレンさんに撃たれて亡くなったのは、ジャズの歴史上でも最も有名なお話のひとつ。撃たれたのは、この晩にリー・モーガンが出演していた、マンハッタンのローワーー・イーストにあった「スラッグス」 Sluggs というジャズクラブでのことでした。1972年2月19日午前3時ごろ、雪深い夜のこと。ちなみに、70年代のローワー・イーストはかなりの麻薬犯罪地区。
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その週、アレックス・ブレイクは、フレディ・ハバード Freddie Hubbard (トランペット)のバンドでウェスト・ビレッジにある「ビレッジ・バンガード」 Village Vaguard に出演していました。ほかの共演メンバーはジョージ・ケイブルス George Cables (ピアノ)、レニー・ホワイト Ley White (ドラム)。
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当時のジャズミュージシャンは、ライブ後には「スラッグス」に行くことが多く、前日の夜にはフレディ・ハバードのバンドメンバーみんなで「スラッグス」に行っていたそうです。でも、この日はとても雪が降っていたので、アレックスはライブ後は家に帰ることにしました。ほかのメンバーはスラッグスに向かったそうです。家に午前2時ごろに家について、しばらくするとバンドメンバーから電話があり、「リー・モーガンが撃たれた!」と。
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銃の傷は致命傷ではなかったのですが、雪深い夜だっために救急車の到着がかなり遅れ、病院に着くまでに大量出血で亡くなったのだそうです。リー・モーガンは当時33歳。ウィキペディアによると、奥さんのヘレンさんは数年間刑務所で暮らしたのち、実家のあるノース・カロライナで余生を暮らし、1996年に亡くなりました。
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そんなリー・モーガンのエピソードを綴ったドキュメンタリー映画がスイス人の監督によって作られ、今年アメリカでも公開になりました。タイトルは I Called Him Morga 絶対見ないと!
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なーんていうものすごいお話を、ライブ前にちょこっと、まるで昨日のご飯の話みたいに普通に話してくれる、アレックス・ブレイク。
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ジャズシンガー
深尾多恵子
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