救急車先生。運動会は、7月過ぎにして下さい。

救急車
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さあ早く救急車の上にタンポポを載せる仕事に戻るんだ

二年前のこと。
この時まだ父は生きていた。
思い出した・・・・それは2度目の卵巣嚢腫の術後、2日目。
四人部屋の私の左のベッドに移ってきた40代の女性。旦那様がいつも付き添いで見えていて病室でパソコンを取りだしお仕事をしていた。
2年前の今頃、外は暑い真夏日が続いていた・・・・病院内は快適というより少し寒いくらいの室温で肌寒く感じていたのを覚えている。
隣に来た女性は『熱い熱い・・・・』と言ってアイスノンを何度も何度も看護師さんに頼んでいた。そして『オキノームください』それは私には想像すらできない壮絶な痛みとの闘い。
その時はわからなかったけどそれがどんなことを意味していたのか、今はわかる。
父の最期を伴に過ごした時、全てが繋がったのだ。
その女性は末期癌だった。
ステージ4と診断された父がどんな想いをしたか分からない。
家族の前では毅然として父だった。
しかし一度、その時の胸中を語ってくれたこと、それも鮮明に覚えている。
そして家族みんなで自宅で父の最期を見届けたこと今では感謝しかない。
医療は確実に進歩を遂げている。しかしまだまだ癌は全ての方が完治に至らないのも現実。
『癌は治る病』という癌患者とそのご家族にとって夢である未来はぜったいにやってくる。その時がやって来ても、当たり前だったわけじゃないことをここに記したいと思い書かせて頂く。大変な想いをされてきた方々の命があり、そして家族の物語があり、今があることを決して忘れてはならない。
(以下、Facebook2年前の自身の投稿より引用)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先週火曜日、手術をした。
右卵巣皮様嚢腫の再発。2度目の手術だ。
7年前の10月自ら救急車を呼び、腎盂腎炎から重度の敗血症に至り入院。入院中に右卵巣12㎝に膨れ上がった卵巣が見つかり(手術中に左卵巣も約10㎝に腫れ上がっていたことが分かり両側の腫瘍摘出)、そして3年前に再発した。
今回は有難いことに東京大学医学部付属病院(東大病院)に転院して一ヶ月も経たないうちにトントン拍子に手術が決まり、そして無事に手術を終え先日退院した。
前回の手術で癒着が酷くお腹につけていたドレーン(管)で腹痛がものすごく、強い痛み止めでなんとかしのいでいた術後2日目(術後1日目から歩かされた)。シーツの交換の時、病室の向かいの坂本さんとお話しした。60代後半の坂本さんは尿管をつけ点滴棒を持ってやっと立った私に椅子を準備してくれてこう言った。
『大丈夫??座って』
帽子を被っていたから抗がん剤治療をしていることがすぐに分かった。
少しお話ししてからこう聞かれた。
『大変そうね。でも癌じゃないんでしょ、』
彼女は1月に癌で子宮と卵巣を全摘し、腹膜にも転移していたため、腹膜も薄くとり、浸潤しているところに対しての抗がん剤治療をしているということだった。
『癌になったら大変よ。ちゃんと検査してね。』
彼女は真っ直ぐ私を見つめ、心から私を思い、こう諭してくれた。
なんだか励まされてしまった。
わたしよりももっとずっと大変な思いをされているのに。
その夜、天井を見ながら私は涙が止まらなかった。というのも不意に父のあの言葉を思い出したからだ。
そう父もまた癌と闘っている一人だ。
父も7年前、癌になった。前立腺癌。あれから7年間癌と向き合いながら闘病生活をしている。
ずっと前、こんな話しをしてくれた。発見当時、父もまた入院していた時、同じ病の戦友と病室で笑いながら『地獄で会おう』と約束していた仲間たち。しかし次々と逝き別れてしまったという。実際見送るたびに何度も自分も病室の窓から飛び降りて死のうと思っていたという話を思い出したのだ。
癌になって命が助かっている人もいればまた命を落としている人も数多くいらっしゃる。今や2人に1人が癌になると言われている時代。癌が5年後10年後確実に治る病気になっていることを切に願う。そして癌で闘っている人たちが病に打ち勝ち心からの笑顔になる日を夢見て。
早期発見が鍵。皆様、きちんと定期検診、また健康診断していただけますように。。
生きていることにただ感謝であるということ。
そして皆様が日々感謝の心で過ごせますように。

救急車がなぜかギークの間で大人気

ゆう、
4年前の今日、
生まれてきてくれてありがとう。
お腹にいるときから本当に活発で、
ゆうの元気なキックでお母さんは、
地震かな?と、
夜中に何度も目が覚めるほどでした。
あまりに動くので、病院でもなかなか心拍が確認できず、
看護師さんの手を焼かせてたね。
生まれたときは、
産声を上げるまで少し時間がかかって不安になったけど、
ため込んでいたかのように勢いよく元気に泣いて、
ビックリしたし、同時にとてもホッとしました。
なかなか出ないお母さんのおっぱいを
一生懸命吸ってくれて、
どんどん大きくなったね。
背中にスイッチが付いているかと思うほど、
ベッドに置くとすぐ泣いて、
あっという間に抱き癖がついたね。
夜中もすぐに起きて、
とにかくおっぱいをたくさん飲んでくれました。
お母さんは、佑の泣き声が耳に付いて離れなくて、
常に佑の声がしているような錯覚になったのをよく覚えています。
1歳までは何度も入院をしたね。
ベッドの外へ出してあげることが出来ず、
先生の姿が見えると泣いて、
トラウマになってしまうんじゃないかと心配になったけど、よく頑張ったね。
強い足の力と身軽さで、
寝返りも、ハイハイも、歩くのも早かったね。
1歳のお祝いでは、
一升のお餅を背負ってスタスタと、
みんなに配って歩いたね。
カラダも強くなって、
ますます体力もついて、
自我も出てきて訴えも増して、
思い通りいかないとすぐ手が出てしまうから、
はたから見ればヤンチャで、
主張が強く見えるゆうだけど、
本当は慎重で、臆病で、甘えん坊で、
1人では何をするにも不安だったり、
近くにてんがいないと落ち着かなかったり、
いつもお母さんの姿をさがしているよね。
何をするにも『てんくんは?』が口ぐせで、
双子なのに、不思議と次男気質だね。
イクラを食べてしまい、
アナフィラキシーの発作で、
救急車で運ばれたこともあったね。
どんどん喉がむくんで、
息が出来なくなって、パニックになって、
苦しかったね。
怖かったよね。
回復してくれて、元気になってくれて
本当によかったです。ありがとう。
2歳半を過ぎたある日、
いつも通り飲んだおっぱいが、辛かったね。
『からい…』
そう言って、とても悲しい顔をして、
次の日から欲しがることをやめたね。
まだまだ甘えたいのに、
グッと我慢して、えらかったね。
3歳になり、
まだまだ少しずつだけど、
人に優しくすることが出来るようになったね。
家にいる時ですら、
おもちゃやお母さんを独占できないのは双子の宿命だけど、
〝じゅんばん〟や、〝どうぞ〟が
自然と出来るようになって、
とても嬉しく、頼もしく感じました。
だけどまだまだ、
ちょっとしたことで泣いたり怒ったり、
暴れて大人を困らせることも多いけど、
どんなゆうでも、
どんな時でも、
ゆうはお父さんとお母さんの宝物です。
誇りです。
お父さんとお母さんは、いつもゆうの味方です。
ゆうが笑顔でいてくれることが、お父さんとお母さんにとって何よりの喜びです。
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いつもいつも、たくさんの幸せを感じさせてくれてありがとう。
これからも、家族で色んなところへ行って、
いっぱい思い出をつくろうね。
たくさんお話しようね、
優しく大きくなろうね。
4歳のお誕生日、
本当におめでとう!!

てんへの手紙
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