過激派に関するお役立ち情報満載です

過激派
Pocket

過激派のことならなんでも情報局。お探しの人集まれー♪

 日本のためにできること&bsp;~道徳と安全保障~
 当初、「破滅に向かって」というタイトルでブログを書こうと思っていたが、いろいろ考え直して、「日本のためにできること」というタイトルに変更した。

■9月8日 改めて人生本として的確な一冊、「今僕らに必要な道徳」

 よりよく生きる人生の指南本として、哲学大全的な本がいろいろ出版されているが、戦後の相対主義の縛りがあって、残念ながら道徳それ自体の必要性には言及されておらず、あくまで「一カルチャー本」であり、つまりは雑学的な本が多い、というかほとんどなので、若者を始めとする一般国民の人生指南本に即座になるとは言い難い(何より社会学と社会思想抜きには、哲学だけではまず客観普遍な道徳は語れないからね)。
&bsp; また、各時代のメジャーな哲学だけでも、理解しようとすれば10年はかかる。
 私が20代のころの90年代後半から2000年代初めくらいは、まだネット環境が一般的でなかったから、BS 1でパリーグの試合を見るくらいの娯楽しかなく、図書館でヘーゲルやカントの大著を借りて、それだけに時間をつぎ込むことができた時代だったが、今は娯楽が多過ぎて、一人の哲学者ですら、とてもとても勉強できる時間なんてない。

 ましてや今人気のニーチェ一人だけを勉強しても、思想的にバランスが悪くて社会を顧みない人間になってしまい、全く逆効果である。
 たとえば、小林よしのり氏が読破したことを自慢されていたハイデガーの「存在と時間」をぜひ読んでみたらいい。非常に膨大で難解な叙述が延々と続き、実人生に役に立つことなど一言も書いていないし、事実、小林よしのり氏は哲学の根本を全く理解しておらず(相対主義という言葉を使って出版界を批判していたころは道徳的だったんだけど)、ロベスピエールがごとき立憲主義の絶対化と憲法の道徳排除に加え、曽野綾子さんに対する理不尽な言いがかりなど、基本中の基本であるような道徳倫理に真っ向から反するような言論を平気でされている(哲学における人生指南書としては、私に近い西 研先生の「ヘーゲル・大人のなりかた」(NHKブックス)がオススメ)。 今年の日本哲学会でも、哲学それ自体が現実的な一般国民の社会生活に全く還元されないようなことを暗に認めている、少なくともマイナーでマニアックな哲学史やら「哲学研究者」の研究ばかりで、そんな風潮である。そもそも哲学とはそういうものであるから―。 そんななか、私の本は自画自賛というわけではないが、道徳的に的確な、多くのメッセージを各章でそれとなく織り込まれていると思う。
 あんまり哲学的な専門用語を羅列して、また、「道徳とは、こうだー!」と、断定的に書きたくはないので、日本人なら誰でも知っているような政治家や芸能人の不祥事の事例を出して、一般の方にもわかりやすくソフトに書かれている。
 そして何より、10代、20代だったころの自分に向けて書かれている。
 社会学者の宮台真司先生の「これが答えだ!」が20代の私の人生指南書と言えるだろうが、残念ながら、社会学の権威であるデュルケムやヴェーバーが強調する道徳、倫理にはまったく触れられておらず、つまりは社会学の中核がなくて、逆に当時の80年代生まれの女子高校生に自己決定権を認めるなど、真の社会学的な解決策とは逆効果に近い本だった。ましてや、そんな宮台さんが出まくっていたテレビによって道徳から遠ざけられた80年代生まれの女性の世代から児童虐待が飛躍的に増加してしまったしね。
 ところが私の本は1,000冊も売れていないらしい。
 当時の自分なら絶対に手に入れたいが、その情報をつかむことがまず難しい。
 無論、私が無名というのも大きいだろう。
 しかし、今の戦後メディアに認められている人たちが果たして正しいか?
 全く正しくないから、今日の社会衰退が起きているんじゃないかな?
 だから、哲学に無知・無理解で、道徳の必要性に否定的な朝日新聞や日本中の出版社に認められないことほど光栄で、決定的な自信になる、確かなことはないのだ。
 「高澤一成なんて無名じゃん」。
 「いやいやいやいや、無名だから何のバイアスもかかってなくていいんですよ。」と。 いくら彼らが全共闘世代や無思想な御用(ごよう)学者を出してきたって、「間違っているものは間違っている」。
 そして道徳教育の必要性を明言する曽野綾子さんだって一時は中国や創価学会について否定的なことが書けない言論統制が日本の言論界には確固としてある。
 そんな中、三橋貴明は系列キー局ではないラジオで「がんばっているなー」と。
 財務省を敵に回して戦っているから大したものだ、と。

 ましてや日本のメディアは哲学、社会学、社会思想の基本も全くわかっていない。
 無思想に「自由」や「人権」で自己正当化して、無責任に偽善的なコンテンツを作っているだけだ。
 そして一般国民が甘い言葉に惑わされてそれを享受してしまう。
 そしてこの社会をますます悪いものにしていく。
 道徳を否定することは、社会性を否定することであり、人間そのものを否定することに他ならないのだから。
 私は自分の本があまり売れていない(よくはわからないけれど)ことにさしたる不満はない。
 つまりそれが必然であり、道徳とは押し付けではなく、陳腐なものではなく、洞察力のある人や縁のある人に届けば、それで本望だからである。
 むしろ、無名の私が、メディアの嫌う哲学に基づいた、客観普遍な、日本社会ではタブーとなっている道徳の本を出せたこと自体が奇跡に近い。
 誇り高く日本で無名でありつづけること、それが私の道徳的な使命である。

 つまりは一般の方にも、客観普遍な道徳に辿り着くには、テレビのような、道徳を排する、商業主義なセンスアリズム(情欲主義)のまやかしに疑問を持って頂いて、そこからいろいろ探していただくプロセスが必要になるのだろう。
 それを池上彰さんの番組みたいに、「商業ベース」のテレビで押し付け的にやられたんじゃたまらない。
 私自身は、道徳をアニエス・ベーやヨウジヤマモトのデザイナーズブランドのような独創性、希少性、魅力のあるものと捉えていて、つまり道徳とは言え、個人が書いた本である以上、ある程度はそういう個別的な形にならざるを得ないし、また、量販店でバッタ売りされることは是(ぜ)としない。
 何しろ超大物芸能人の本だって、刷(す)った部数が多ければ多いほど、ブックオフやTSUTAYAで100円でジャンク品のように売られているしね。
 道徳がどんな形であれ、ジャンク品になるのだけは絶対に避けたい。

 池上彰さんの番組は、国際情勢など、ためになることも多く、陣内智則さんにもビシッと正論を言ったし、表面的な知識だけの林修さんよりはマシだろうから、「彼らの代わりにやれ」と言われればやるし、「ひるおび」の立川志らく師匠の代わりに出てくれって言われたら出るけどね。
 なぜなら「ひるおび」で、安保法制に反対で政治的な色彩の強い室井佑月さんが、相対主義の戦後メディアではタブーである「道徳の必要性」を生放送で口にして、味方だと思っていた人に裏切られたTBSにとっては冷や冷やものだっただろうから。
 逆に道徳を批判する橋下っちゃんなんかは、どんなに朝日新聞と敵対関係であっても、ジャンジャンテレビ朝日に出られるわけなんだね。そしてやくみつるさんは、いたずらに道徳を否定する、無知な橋もっちゃんに対して、「道徳は必要だぞ」と言って食ってかかったし、そういう政治的スタンスを飛び越えて、系列キー局が望まないことを単発的に言っている人もいて、そういうワンショットの道徳的発言は、人の心の核心の部分としては、評価されるべきなんだね。&bsp; つまりは日々の非道徳的な政治家や芸能人、公務員の不祥事で揺れ、安全保障の問題で割れている日本が、無責任なメディアの縛りを越えて、ある程度道徳的に一つになっていく必要性がある、と。
 そして、一般の方が私に辿り着くプロセスに加えて、私みたいな無名な哲学者の言葉に耳にかたむけることのできる、偏見、外連味(けれんみ)のなさ、純粋な心が必要なんだろうと。
 そういう意味で、そんな私のブログに訪れていただいている読者の皆様には改めて深い感謝の気持ちを申し上げたい。 
  
■9月8日 朝日新聞のバカ社説、日本の命運は風前の灯火か

 北朝鮮の北東部、プンゲリで大規模な核実験が行われたにも関わらず、日曜の昼間は若手アイドルやタレントによるのどかな番組だけで公共の電波が賑わっていた。
 日本民族の命運とは、そもそもが私が生まれる前に三島由紀夫が自決した時点で決していたのかもしれない―。
 そして今私が使っている日本語も、近い将来、それ自体が死語となり、「かつての偉大な文明の古代文字」となる日が来るのかもしれない?
 弛緩(しかん)し(気がゆるみ)、国民もアトム化して、つまりバラバラに分散し切っている日本国民が、国民一丸となってミサイル発射、核実験に突き進んでいる北朝鮮の軍事的脅威に瀕している。
&bsp; また、「米朝の緊張」にも関わらず、9月8日の声明で「日本はこれ以上アメリカの手足となって醜くふるまってはならない」、「世界的な軍事強国である北朝鮮が最も近くにあるということを、日本は肝に銘じるべきである。」と、日本を名指しした警告が多いのは、安倍首相や河野外相の対応以前に、「始めから(アメリカではなく)日本に対して何らかの攻撃をする」と決めていることの表れであろう。 事実、8月29日の日本上空を通過するミサイル発射は、日本に対する宣戦布告に等しい。
 テレビの専門家や知識人は北朝鮮が日本を攻撃するという現実を直視せず、「中国やロシアとなんとか折衝(せっしょう)していればいい」ということだけ言及しているが、北朝鮮は中ロとは関係なく、独自で動いている。

(2017年 9月8日 朝日新聞より。画像は編集したもの。「バカ」の字のみ追記)&bsp; 日本の安全保障を、領土問題を抱えるロシアに丸投げし、まず第一にキム・ジョンウンではなく、石破茂元防衛相を責めるという有様。ロシアに対して「北朝鮮の暴走を抑える方策に尽力すべきだー」って言ったって、そもそもが9日の建国記念日に祝辞を送って、北朝鮮との関係を強固にしているし、こんなこと書いても、日本政府に「何もするな」という民意を形成しているだけで、キム・ジョンウンが喜ぶだけであり、完全に「反日新聞」と言われても仕方ない。ほとんど何も書いてないに等しい。 自著にも書いたが、相模原障害者施設殺傷事件後の、「道徳の必要性」を是が非でも否定する泣き言だけのバカ社説も本当にヒドかったが、もう「反日・非道徳」の極致で、多くの日本人がこんなものだけを盲信している現実がある。 そして森本敏さんも残念ながら、「ロシアを使って…」という議論に終始していた。 だが、自国の安全保障を、同盟国でもない他国に丸投げする国なんて一体どこにあるのかと。 そもそもが北朝鮮の核・ミサイル開発を技術的に支援しているのがロシアだから。   そして朝日・岸田前外相の強調する「非核三原則」というお題目は立派だが、この米朝の緊張も、「アメリカが日本に核ミサイルを配備すれば終わり」の話であり、その「非核三原則」の弱みを、いわば北に衝(つ)かれている状況である。よって、大手 紙で平時ならいざ知らず、Jアラートが鳴る今の状況でこれを正当化して誤った世論を形成して、少なくとも北が喜ぶようなかたちで日本を危険にさらす朝日新聞は「反日」と言わざるを得ない。&bsp; それ以外でも、メディアは無知、無責任で、「報道ステーション」で堀茂樹氏は、「北朝鮮にコントロールが効くのは中国ですね。日本は中国に働きかけ、中国とこの面では仲良くして、北朝鮮を抑えにかかると。」と、どうしようもないことを言われていたが、トランプが何ヶ月かけてもできないことをなんで日本の政治家ができるんだと。そもそも北朝鮮と国境を接する中国の北部戦区は、習近平のテリトリーではないし、関係が悪化している北朝鮮の石油を止めて、北が暴走することを恐れている中国が、日本のためだけに動くはずがない。現に北には建国記念日の祝辞も送っていないし、今は目下の党大会の権力闘争で忙しい。ましてや韓国にTHAADが配備されて、米韓軍事演習だとか、むしろこちらの方に中ロは反対している。&bsp;&bsp;■9月14日 田原総一朗氏の的外れな提言
(2017年 9月14日 テレビ朝日「ワイドスクランブル」より)&bsp; 堀茂樹氏同様、田原総一朗氏も今日になって「安倍首相が中国へ働きかけるべきだー」と言っているが(これはテレビ朝日の総意なのだろうか?)、どんなに中国に北朝鮮の核開発を止める妥当性があろうとも、北部戦区を統治していない習近平には何もできない。
 そして習首席と会談し蜜月となったトランプが何ヶ月経ってもできないことを、習首席と険悪な関係である安倍首相には決してできない。
 万万が一習近平が、冷ややかな関係である安倍首相の提言を100%聞き入れて、その気になっても、中国とのパイプ役である張成沢(チャン・ソンテク)をすでに処刑しているキム・ジョンウン体制には、中国から「核開発をやめろ」と命令されても、聞く耳は持たないだろう。
 軍事衝突にならないような術(すべ)は、「日本の安全保障を中国やロシアに頼み込む」という愚かしさを捨て去ったかたちで提言されなければならない。
 だが、田原総一朗氏は安倍首相に会うこともできるし、彼の提言だけがマスコミで取り上げられる。そもそもが私と同様、同じ仲間であるはずのMCの橋本大二郎氏も現実を直視しない田原氏の提言に対して、極めて否定的な見方を示した(橋本大二郎氏は、私が批判してきた橋下徹氏を「ろくでもない人」と言い、クールな人でありながらも、案外私と合うというか、優れた人なのかもしれない?)。
 「中国を使っても、120%北朝鮮は核開発を放棄しない。」真実はこうである。
 だが、田原氏の持論は次の通りである。「北朝鮮が核を持てば、韓国も核を持ち、日本も核を持つことになるから、中国は損をする」と。だが、それはあくまで「可能性」(「仮定」)の話であって、今すぐに起こり得るような現実的な話では全くない。つまり韓国も日本も民主主義だから、少しでも具体的な動きがあれば、事前に知ることもできる。
 そもそも戦後70年、日本の安全保障と道徳を破壊してきた人たちが何を言っているのか?
 そして田原氏は、「北朝鮮が日本に核攻撃をすること」よりも、「アメリカが北朝鮮に対して武力行使をすること」を恐れているので、私とは危機感がまるで逆なのである。
 だが、すでに日本社会はメディアの寵児(ちょうじ)であるこのような意味のない人たちの話しか聞くことはない―。 (「9月8日 朝日新聞のバカ社説・日本の命運は風前の灯火か」に戻る。)&bsp; 一方、蓮池薫さんは一番まともで、8日の報道ステーションで「これからの制裁等で、(北朝鮮が)どんどん追い込まれていけば、ある段階で譲歩してくるというか、対話に出てくる可能性も十分ある」と言われた。 だが、それは蓮池さんご本人を解放された時のキム・ジョンイル体制の時の話であって、その体制の有力者である張成沢(チャン・ソンテク)氏を始めとする要人が次々と処刑されている今のキムジョンウン体制は全く別の局面に入っていると考えるべきである。 なにしろ「中国くらいとは仲良くやろうぜ」と言っていたような叔父さんまで処刑してしまうんだから、もはや合理的な判断ができなくなっていると言っても過言ではないだろう。 したがって、北朝鮮が制裁で追い込まれていけば、「対話・譲歩」ではなく、まったく逆に暴走、核攻撃の可能性も十分に考慮しなければならない。少なくとも小泉首相と面会し(あの頃は拉致被害者家族の皆さんを中心に、日本のメディアでも当然、非難轟々(ごうごう)だったが)、それでも今の日米に対する異様な国威の掲揚、戦意の高揚ぶり、そして「日米をこの世界から消滅させる」というジョンウン氏に比べれば、大人な対応をした、かつてのキム・ジョンイルの体制とは全く異なるものである。 つまりは日本側のまともな常識だけで計ることは全くできようがない国である。 少なくとも、純粋な自衛のための核実験、ICBM…というよりも、イスラム国以上に「戦争したくてたまらない」という、戦時の日本以上に、「お国のために死ぬぞ」という異様な盛り上がり、好戦的なムード、狂信的な連帯感が、北朝鮮が配信する軍人集会の動画から伝わってくる。&bsp; ましてや現実に、日本の頭上をミサイルが通過し、間髪を置かず、大規模な核実験が行われている以上、日本がなすべきことは、米韓と一体となって、北朝鮮の敵基地すべてを一斉に攻撃する「上の策」か(憲法の縛りがあってほとんど不可能だが)、あるいは全く逆に、フィリピンが中国に対してそうしているように、日本の場合は北朝鮮に対してこちらから経済援助を申し出て、妥協、屈従するという「下の策」であって、「中ロだけに頼って、圧力だけをかけ続ける」というだけの、無責任なメディアにおいて支配的である「中の策」というのは有り得ないのではないか。

■日本有事に中ロもアメリカも関係ない?
&bsp;(2017年 9月5日 朝日新聞より)&bsp; そもそもが米軍は「日本と米軍は一つのチーム」と言っているが、必ずそこには(ビートたけし氏や堀江貴文氏が指摘するように)「日本にイージス・アショアを買わせたい」というアメリカの国益(だけ)が絡んでいる感は否めない(事実、9月15日早朝の北朝鮮ミサイル発射後、14時を過ぎてもトランプ大統領の反応なく、アメリカのメディアすら報道だけはしたものの、ほとんど無関心であった・・・)。
 また、日本のTVコメンテイター(「ひるおび」の田崎史郎氏など)が言うような、「日本を守るためにいる」のではない。 元海将の香田洋二氏も、メディアが総出で大反対した安保法制を「長足の進歩」と評価した上で、「尖閣諸島程度の小島を米軍が守るはずがない。日本を守るのは自衛隊であり、米軍の任務は、敵国本土への打撃です。」と言っている。 つまりは米軍は「占領しているからいる」というだけの話であって(まして沖縄の基地に反対する過激派のデモを見ていれば)当たり前だが、一外国の基地に過ぎない日本のために血を流したいと本気で考える米国人は少ないだろう。&bsp;(2017年 8月23日 朝日新聞より)
  少なくとも北朝鮮のミサイルがグアムやハワイの上空を通過したら、米軍は軍事的報復に出るだろうし、出ざるを得ない。 北もそれがわかっているから、そうしない。ギリギリを狙ってくる。 そして、いくら日本列島の上空を通過したところで、米軍が一歩も動かないのは実証済みである。 そもそも今のトランプ政権は北朝鮮問題に関しては、中国に丸投げしているような状態である。 しかも、北朝鮮の直接的な危機に瀕している日本にとって、中国は領空、領海を侵犯してくる国。 安倍政権もその中国とは交渉せず、自国の安全保障を、アメリカと敵対するロシアに働きかけようとしているが。
 当然拉致問題や北方領土問題などが、さらに後退することは間違いない。

 香田洋二氏は「米軍は日本を守るためではなく、敵国に打撃力を与えるために日本にいる」と言う。
 だが、織田(おりた)邦男元空将によると、ミサイル防衛に関しては、2015年に改定された日米ガイドラインには、その「打撃力」という言葉も消えてしまい、「アメリカは日本の作戦を支援し、補完するための作戦」とするに留まっている。 つまり、97年のガイドラインに比べて、「打撃力」という言葉が消え、「情報提供」でもなく、「情報交換」して、「補助的に支援くらいはするよ」くらいのトーンに弱まったものである。
 加えて織田邦男氏は「アメリカがやってくれると思ったら大間違い」と言っている。

 つまりこの海将と空将の両者の見方を総合すれば、米軍は「イージスアショアを売るために、ただいるだけ」である(無論、ツイッターでなら、トランプ大統領は「ついに北朝鮮が日本に核攻撃をして何千万人も死んだ。ひどい(Bad)!」と「口撃」してくれるかもしれないが…)。
 こういった自衛隊の人たちは立場上、政治的意見をほとんど言えないので、メディアの無責任な机上の政治論が不快極まりない「反日」の悪臭を放ち始める前に、早めに燃えるゴミにでもほっぽり出しておいて、できるだけ防衛にたずさわる現場の人たちの声をつぶさに汲み取って現実を見つめ直さなければならない。
 日本の今日(こんにち)の国防を無視した、集団安全保障すら議論できない、北朝鮮の核を無視し、引いては道徳を無視し、自由と人権で自己正当化するだけの、国民だましの、偽善的な番組作りを得意とする、無責任極まりない戦後の左翼言論(日本の皆さんがご覧になっている日本のテレビすべて)による、厭戦(えんせん)ムードの中では、憲法改正や核武装の議論さえままならず、今の現状のままでは、ケビン・メア氏や三橋貴明氏の言うように、北朝鮮による最初の核攻撃は、まず日本が受けるしかない。
■北朝鮮には対話も圧力もない

 麻薬や武器輸出を収入源とする北朝鮮は、率直に言えば、「指定暴力団」であり、育ちの良すぎる二世、三世の自民党のお公家(くげ)さんが相手にすることは残念ながらできない。
 つまり彼らお公家さんが圧力をかけて、政策を転換する可能性は0パーセントである。
 北朝鮮はもう「戦争をする」と決めてかかっていて、まるでイスラム国のように、「地球上からアメリカを消し去る」とまで言い切っているのだから、未来永劫彼らによる攻撃が全くないことの方がまさしく僥倖(ぎょうこう)であるが、日本人のすべてがその僥倖が当たり前だと思っている節がある。
 空軍や核兵器を持たず、国家の体(てい)を為していないイスラム国ですら、あれだけの破壊行為を世界中で実現させているのだから、北朝鮮だけが、事あるごとに警告を続ける日本に対してだけ「全く何もしない」と考える日本の一般大衆の方が楽観論を越えて、完全に非現実的である。
 三橋氏はこれを「お花畑」という優しい言葉を使っているが、そんなかわいらしいものではなくて、「深刻な無知」であると私は思う。
 なぜなら日本の民間人は70年前、今の北朝鮮ほど凶暴ではないアメリカによって、あれだけの大殺戮を受けた国である。
 そしてTBSの情報番組「Nスタ」の天気予報で毎日のように映されている隅田川には、そう遠くない過去に、東京大空襲によって民間人の死体で埋め尽くされたのである。
 それにも関わらず、大半の日本国民は、戦後メディアの作るバカ番組に心を奪われ、それが美輪明宏さんのような文化的なものだったらいいが、最近は松本人志の言う「垂れ流し番組」だけになって、しかも露骨とも言えるほどの、道徳を切り崩ししただけのような、文化的価値、芸術的価値の微塵もない、「商業主義」一辺倒になって、宗教や民族の同胞意識が希薄というのもあるが、そういった最低限の民族的な、国家的な危機感さえ完全に失われ果ててしまっているのである。

 また、歴史の浅い、未熟なアメリカが大国になってしまったことで、ブッシュ父子が湾岸・イラク戦争でパンドラの箱を開けて、イスラム国が出現し、世界中にテロが蔓延したように、そのようなアメリカが日本に原爆を二つも落として、外交交渉どころか完全に木っ端微塵、粉みじんに破壊してしまって、かつ南京大虐殺のかどで敗戦国を完全な悪者として、原爆投下を正当化してしまい、その後の強大なソ連(ロシア)、中国共産党、北朝鮮の今日の軍事的台頭を招いてしまったのである―。&bsp; アメリカは思慮深い哲学のない大変若い国であり、地理的な事情から4000年近い歴史の中でずっと血生臭い内戦をやってきた中国とは全く対照的に、「南北戦争」というたった一回しか内戦がないくらい若い国なのだが、そのたった一回の内戦だけで、なんと62万人もの死者を出すという、悪い意味で豪快、「ワイルド」であり、新大陸を短期間で怨念の残る大地と化して、原爆を二発も日本に落とすなど、若いくせに「ヤンキー」というだけあって、ロックフェラーからビル・ゲイツに至るまで、異常なほどスケールがデカい(だけの)、日本人の持つ優雅さや繊細さとは全くかけ離れた「ガキ大国」なのである(ブッシュJr.やトランプ大統領も、悪者、悪党というよりは、まさに「子ども」、「ガキ大将」という感じ)。
 
 そして日本が学校を作って識字率を高め、水道を始めとするインフラも作った韓国ですら、朝日新聞の誤報道もあって、未だに反日一辺倒で、慰安婦像を電車の中に設置するほどであり、「八紘一宇」という、ナチスドイツなどの欧米列強では考えられない、当時のローマ教皇が支持していたほどの道徳的なスローガンの元、東インド会社やアヘンにやられた他のアジアとは異なる、かつてのローマ帝国のような、屹立(きつりつ)したアジアの盟主たる日本の威容も、今は無思想な戦後左翼メディアの相対主義によって、影も形もなくなり、かつての日本の大版図においては、名もなき、資源なき、一中継地点に過ぎなかった北朝鮮で、社会主義の一徒党が興した金一族による核実験の日に、皇室の婚約発表を見るという、喜怒ない混ぜの、デュルケムの言う「凋落(ちょうらく)民族の弛緩(しかん)した明るさ」を見ているのである。

 日本は余りにも偉大すぎた民族であり(もしも韓国に朝日新聞のような勢力があったら、その構成員はことごとく、金玉均のように四肢を切断されるだろうというようなことを百田尚樹さんは指摘する)、その偉大さ、優雅さゆえに野蛮な文明によって、滅びようとしているのが、所詮は戦勝国体制、常任理事国の拒否権ありきで、筋肉バカ、独裁バカの武力先行、軍事先行の国際社会にあって、何とも物悲しいのである。
 だが、経済制裁によって特に放送を許可されない地方が相当な困窮を余儀なくされている北朝鮮社会は、キム・ジョンウンが体制を維持するために、核実験が「合議制で決められたものだ」という映像を流し、キム委員長も家々を回るなどして国民に理解を求めている。そこだけは確かに専門家が言うように、キム体制は追い込まれていて、体制維持のために、「アメリカに対する妥協は絶対にできない状況」にあって、この緊張、威嚇、挑発を続けていくための、次の方途が、一切反撃をしてこない日本に対する「攻撃」であろう。
 無論、核の小型化に成功して弾道ミサイルに搭載し、発射、大気圏再突入できる段階にはまだないかもしれない。だが、日米に対する一つの挑発行為として、延坪島(ヨンピョンド)のような、局地的な攻撃が容易に想定されうる。そこからは一気に泥沼の戦争に突入してしまうだろう。
 

&bsp;■9月8日 人類は道徳的にならなければならない

 道徳家としての私の使命とは、古代ローマのキリストや鎌倉時代の日蓮上人に比べればはるかに過酷であり、科学技術も進歩し、そもそも宗教の役割がほとんどなくなって、かつ日本人はみな「冷笑主義(シニシズム)」かつ、道徳の必要性を絶対に認めない「相対主義」であり、「全くどうしようもない」。
 ましてやイスラム国、プーチン、習近平、キム・ジョンウン、トランプ、日本の心ないメディア、政治家、戦後知識人…。道徳とは縁遠い、見下げ果てた人たちばかりではある。
 それでも、ハリケーン・洪水の災害に対して1億1千万円の私財を寄付したトランプは大したものである。
 そうした行為は紛れもなく道徳であり、これまでの非道徳的な言動も、いくぶん許されるに値するものだし、その点は高く評価したい。
 ところで今日(9月8日)、目が覚めたら、私の目覚めに合わせて、私の周りのありとあらゆる高さ、奥行きのところから、ありとあらゆる音の類のラップ音が、あちこちで絶えず鳴り響いていた(今は同じ場所にいて、そんな音など全く何もしないのに)。
 長くブログを書いていなかったから、「このブログを書け」というメッセージだろうか?
 確かに2008年にも、私に対する啓示はあったが、それは日本でも長い歴史を誇る西日本、広島での話である。
 普段の私は本当に完全に普通だが、哲学に関心を持ったり、道徳的な使命を帯びる時間というのがある。
 今ではもう完全に朽ち果てた夢のように思えるが。
 ただ一つだけ言えることは、世界の現実も、私自身の現実も全く悪いことしかないが、生きていることそれ自体が貴重なことである。
 五体満足で生きているにも関わらず、親が悲しむような、おぞましい性犯罪を起こして捕まる、感謝のない男性の報道が最近目立つ。
 無論、女性は女性で、母親になろうとする人が減ってしまい、私の世代ではコミュニケーションをとることさえ忌避されるようになった。
 だがそれでも、私は生きている限り、私の本業、でき得る限り最大限のことをやる。
 X JAPANの「logig」の歌詞にあるように、「明日も生きるだろう あなたに会えなくても I'll sig without you (あなたがいなくても歌うだろう) 壊れそうな夢 明日も奏でるから」。
 おぞましい変質者が捕まる道徳のない日本に対して、イスラム圏ではサッカー場でも、どんな若い男性も、純白の宗教服を着ているので、個性がありつつも平等に見え、道徳的に見え、日本人のようには孤立せず、よって悪い行いをせず、社会的で立派に見える。
 ムハンマドは、今日の文明化した、価値観が多様化した時代にあっても通用する、人間を人間足らしめる、すばらしい宗教文化をイスラム世界に残した―。
 心のない国、心の通じない国、危急存亡の現代日本にあって、私がなすべきこととは。 私にあるのはただ目に見えない道徳的確信、信念。
 そして神が私にさらなる力を与えてくれることを願う。
 私の (X JAPANの楽曲のように)屹立(きつりつ)した精神、卓越した精神は道徳的に哲学的に偉大であり、永遠である。
 「偉大」というのはもちろん、人に対する優越ではなく、まさに「その逆」。 老子の言う、「人の先に立たぬ生」と「慈しみの心」。 今日(こんにち)のバイクで大騒音を撒き散らしたり、車からコンビニ弁当やらペットボトルのゴミを道路に投げ散らしたり、振り込め詐欺をする野蛮な若者たちや、出生率が極端に低い都市部の、私と同世代から80年代生まれくらいの「かわいい」、「きれい」と言われる、そのほとんどが排他的な女性たち(私個人が生涯の間に多く目にしてきた日本の人たち)、そして無論、テレビに出まくっている多くの人気芸能人やら官僚やら非道徳な不祥事を起こす政治家にはなかなかわかってもらえないが、「人への愛だけが、人を天国へ導く。」「イエスは言う、『この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。しかし、少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない。』[ルカ七・47]と。」(「キリスト教の精神とその運命」ヘーゲル著 木村毅訳 現代思想社)&bsp;(2017年9月13日 日刊スポーツより) 山尾志桜里(1974-)議員に、鈴木砂羽(1972-)さんなど、ことに「少子化の元凶」とされる団塊ジュニア世代の、きれいとされる女性たちの中には、人として完全に抜け落ちているものが大きく、それはまさしく「道徳」であり、道徳を否定したきたその親の団塊世代にも原因があるが、こういった女性たちとは、人に対して「申し訳ない」と思うことすらなく、謝らない。普段でも、愛想が悪いのはもちろんのこと、あいさつすらせず、私は同世代から80年代生まれのきれいな女性で、親切な女性を一人も見たことがない(社会学的に男性は女性と比べはるかに異性に依存する存在であるが、そうでありながらも交際はおろか話すらできない時代であった。一方、このような女性たちとは若い男と結婚、離婚、不倫を繰り返している―)。 無論、どんな罪も赦(ゆる)されるのであるが、 80年代生まれの上西小百合も含め、謝らなければ赦(ゆる)されようがない。排他的、(美輪明宏さんの言う)自己本位的であり、たとえ女性であっても、天国とは最も遠い場所にいる。&bsp; 道徳を迫害し、道徳とは全く関係なく、完全に逆向きに生きる(少なくともそういった女性たちを礼賛する)多くの日本人。恐らくはそういった人たちだけから成る大都会、東京。 私は私に授けられた啓示のように、あるいはYOSHIKIの曲のように、私は神と一体化しつつ、私は私の愛を磔(はりつけ)にする(#crucify my love)。 これからもそうあり続ける―。
 私の名は「ベネディクトゥス」であり、洗礼者ヨハネ、ナザレのイエス、最初はキリスト教の迫害者であり、キリストの声を聞いて回心した殉教者パウロ、同じく最初はキリスト教徒ではなかった教父アウグスティヌスの人生に今は思いを馳せる―。&bsp;crucify my love...
(まさにこの箇所の下書きを書いている9月11日0時51分に、関東地方で地震があった。震源は私の住む東京多摩西部) イエス・キリスト、そしてキリスト教を作ったパウロ、私の前世である(?)スピノザの3人は皆ユダヤ人であり、そして最初は3人とも熱心なユダヤ教徒であったが、3人ともにユダヤ教を棄教して独自の哲学を構築し、それによって同じユダヤ人によって迫害・攻撃された―。 そのうちのキリストだけは若くして磔にされて民衆の声によって殺されてしまった―。 
■9月15日 北朝鮮ミサイル、北海道上空を通過。

 正直、核攻撃をしてこなかったことに安堵している。
 そして8月29日と同様のルートであるから、伊藤俊幸元海将によれば「地球は丸いから北海道の真上を飛んでおらず、また、100km以上上空であるから領空侵犯でもない。つまりPAC3の管轄外ではある。」
 イージス艦とは「迎撃範囲に侵入してきた敵機や艦船、ミサイルを自動的に破壊するもの」で、専守防衛の要である。ところが2年前はイージス艦を知らない人たちによる「戦時の人海戦術」の思考で、「反戦」による自己正当化の下、安保法制の議論が進んでしまったが、五木寛之氏が指摘するように「今の戦争と昔の戦争では全く違う」。
 そして伊藤俊幸元海将が言われるように「イージス艦を2隻、日本海側に置けば、日本全土を守れるんですよ。それで打ちもらしたものを(本土の)PAC3が担当するということですから」(8月29日TBS「ひるおび」)。
 ところが「島根、広島、高知上空を通過してグアムを狙う」という予告があったため、その陽動に惑わされて、PAC3を中国四国に配備して北海道が空いてしまった。
 そして北も当然それを見越して多弾頭やデコイ(おとり)、飽和攻撃をしてたくさんミサイルを打ってイージス艦ですべて対応できないようにし、そのうちのいくつかに核を搭載するだろうから、この状態は危険である。
 私はこれが北の言う「最終手段」だと思う。
 そこで「イージス・アショア」とは、陸上にイージス艦の機能を常設するものであり、1つで800億円、2つ必要だから合計1600億であり、一方でTHAADが1,000億円で、こちらは6基配備しなければならないから、「4400億円得」という計算である。
 少なくともアメリカは日本が核攻撃をされるまで、武力行使をしない可能性が高い。
 すでに何度もアメリカのレッドラインを越えられているし、2015年に改定された日米ガイドラインからは「打撃力」という言葉も消えている。
 つまり広島・長崎の悲劇を再び繰り返さないために、日本は独自で、是が非でも万万が一に備えなければならない。
 北は「韓国ごときを相手にしようと水素弾まで持ったのではない。核やミサイルでなくても簡単に相手にできる」と、うそぶくが、裏を返せば、「燃料・弾薬とも乏しく、米韓にはるかに劣る通常兵器で韓国と戦争をしたくない」ということの表れである。
 つまりはB-1B爆撃機、ステルス戦闘機F-35B、戦闘機F-16CMファイティングファルコン、そして電子戦機EA-18Gグラウラーといった圧倒的な空軍力を誇る米軍によってあっと言う間に制空権を掌握されて、一方的に爆撃を受けつつ、かつ野砲の撃ち合いになれば、北朝鮮にも甚大なダメージが出て、平壌は速攻で壊滅し、イラク戦争のように一方的になるのは必定であるから。
 それをさせないために「日本を核で沈没させる」と言って、憲法や非核三原則の縛りのある「日本を人質にとる」という卑怯極まりない戦略に出ているのである。 その点で、日本の左派メディアを利用できるとも見ているだろう。
&bsp;&bsp;■9月14日 &bsp;日本のためにできること

 今日、北朝鮮はテレビで大々的に「核兵器で日本列島を海に沈める」という、とんでもないメッセージを発信した。何の非もないのに、こんな卑劣なことを対外的に発信される国は日本くらいなものである。
 なぜなら他の国がこんな宣言をされれば、どんな相手であろうと即時戦争に突入するからである。
 そして、この宣言にはキム・ジョンウンの若さがにじみ出ている。
 ゆえに日本で性犯罪を起こしたり、施設の老人や障害者に虐待を加えたり、振込詐欺をする若者と同様に、過ちを犯す可能性は十分ある。 
 ましてや、日本を核攻撃したとなれば、国民に強いリーダーとアピールして、不満を抑えることもできるし、北朝鮮の民族の歴史に名を残せると安直に考えるかもしれない。
 さらに悪いことに叔父ですら処刑してしまった彼を諫(いさ)められる人が周りにいない。 ところで私は12日に、北朝鮮の核攻撃を止めるために、国の機関に提言を出したが、無論、返事はない。
 2008年5月。私が広島に入るときに聞いた声は、パウロがダマスカスに入るときに聞いたキリストの声に似ている。
(『世界の歴史』別冊 旅の世界史4 信仰の道より)&bsp; キリストはパウロに「サウル、なぜ私を迫害するのか」と語りかけた。
 もし私が聞いた声がキリストなら、彼は私を「ベネディクトゥス(スピノザの名でもある)」と呼んだ。
 パウロがキリストの声を聞いたのは西暦31年、つまりキリストが死んだ次の年である。
 私が広島で声を聞いたのは2008年であり、それがキリストと仮定するなら、だいぶ後になるが、当時の私がキリストの没年よりも1つ上であり、つまり、当時は迫害者だったパウロに語りかけたキリストと同じ年になる(声を聞いた私が、パウロを回心させた時のキリストと同い年)。
 その翌日の広島の学会でも、秋葉市長が出席した会があって高山守学会長に道徳の重要性を話したが、会長は同世代間で価値観を共有できた全共闘世代であり、道徳には否定的であるため悪い顔をされ、放送大学での会長のヘーゲル哲学の講義をすべてノートにまとめたにも関わらず、会ってすぐに疎遠となったが、その後も道徳活動を続けていった(パウロの思想はヘーゲル哲学に大きな影響を与え、私もまたヘーゲル哲学に影響を受けた)。
 前日に話は戻るが、私が生まれて初めて広島平和記念公園に入った時、私はキリストの没年に近い年だったが、私がいる時間帯だけに、なんと平和記念公園だけに雲ができて強い雨が降り続いた。
 しかし、私一人だけはちょうど「原爆の子の像」のそばの折鶴が保管された場所にいたので、全く濡れなかった。
 私は最初、被爆された方の涙かと思ったが、今となってはキリストの涙と思う。
 キリスト(?)は私に広島で何を伝えようとしているのか?
 そして私が、(多くの符合などから恐らくは私の前世である)スピノザの没年を迎えた今年、現実的に北朝鮮が日本を名指しして、核攻撃をちらつかせている。
 しかし誰もが日常の生活だけに追われ、そしてテレビも、夜もなく昼もなく、十二分にお金を貯め切って、無数の美しい女性とも遊びまくった、コミュニケーションのただ中にいる、私から見て全く面白くない、全く共感できない、「完全に」別世界に生きる、売れっ子芸人さんたちやら、見た目だけでちやほやされる「完全に」別世界に生きる、女性タレントさんたちだけのバカ番組だけがえんえんと垂れ流されていく―。  
&bsp; それは私が生まれる直前(厳密には1ヵ月と1日前)に秋田に顕現した(時間と地域のリアルな誤差を私は感じているが)、聖母マリアのお告げの「火の雨」に暗示されている。
 そして私が生まれた翌月には、中国で(これまた私が大好きな)老子道徳経が出土したという。
 ファティマの聖母は、秋田と全く同じような聖母の顕現とお告げであり、第一次大戦の終焉と第二次大戦の勃発を予言した。
 すべては唯物主義で猜疑的な日本のメディアや全著名人たちとはいっさい関係ない、完全に「私個人の話」である。
 私はこの日本では、完全に孤立していて、「迫害」に近い状態であり、心打ちひしがれていて、また心の支えも何もない。 特に昨年は小林麻央さんのブログに支えられていた面も大きく、今の私に家族以外で支えがあるとすれば、X JAPANの音楽だろう。  そして今朝もまるで凶事の予兆のように、関東地方に地震があった―。
 今の私はまるでパウロのようであるが(キリストの声を聞き、髪が薄く、頑固で、哲学的・道徳的で、メディアの日本人女性とは完全に真逆の「原罪主義」であり・・・)、メディア、著名人、政治家、官僚といった、この国の雲の上の人たちには一切私が見えない。 無論、道徳的なパウロも、自分と同じユダヤ人に迫害されたのであるが。&bsp; つまり今の私は、不断の道徳とともに、神そのものに語りかけているに相違ない。 &bsp;&bsp;&bsp; 未だ無名なブログでございますので、「道徳の大切さ」にご賛同頂ける方は下のお好きなジャンルに 1クリック(投票) お願いします!   人間関係 ブログランキングへ
  哲学・思想 ブログランキングへ
  政治思想 ブログランキングへ&bsp;

過激派 フィットするって、気持ちいい。

渋谷暴動事件

Wikipedia、gooより

昭和46.11.14
沖縄での沖縄返還協定批准阻止のゼネストに呼応し、渋谷、四ッ谷などで行われた沖縄返還協定批准阻止闘争。騒乱。
中核派の学生ら約400人が渋谷で警戒中の機動隊や渋谷駅前派出所を襲撃。

関東管区機動隊新潟中央小隊(新潟中央警察署)の中村恒雄巡査(当時21、2階級特進で警部補)を鉄パイプで殴り、大坂正明が火炎瓶を投げつけ殺害した。
他に3名が重傷。
デモを指揮した委員長松尾真を逮捕、大坂正明、星野文昭、荒川、奥深山ら7人を特定し大坂を除く6人を逮捕起訴した。
昭和62.7に星野に無期、荒川に懲役13年が確定。荒川は平成12.7に満期出所、大坂だけがいまだに逃走中である。

奥深山は精神疾患で公判停止となっているが、弁護側は免訴を求めている。しかし病状安定の鑑定が出て公判再開の可能性がある。

以上、Wikipediaより
星野受刑者は冤罪を主張し、再審請求。
星野受刑者を支援する組織は、中核派がバックにいるため他の冤罪とは明らかに異質な印象を受ける。
大坂容疑者は殺人の時効が廃止となったため現在も指名手配中である。
2013.2に大坂は2012.2時点でアジトにいて活動を続けていたことが判明した。
容疑は殺人、放火、傷害、凶器準備集合、公務執行妨害

中村巡査(以降、中村警部補)の慰霊碑は渋谷区神山にある。
下の写真の場所

以前にも来たことがあるが、あらためて慰霊碑に手を合わせに来た。

通りすがりでは気付かない所に、店の脇にひっそりとある。本当にひっそりとです。
時の流れとともに忘れ去られる名も無き警官に過ぎなかったのか。学生を弾圧しにやって来た権力の犬に過ぎなかったのか。
しかし今でも当時を知る地元の方だろうか、花を欠かさずに供え続けてらっしゃるようです。

地元の方は中村警部補がいかに悲惨な殺され方をしたのか間近で見せられ、犯人の残忍性に怒りを感じずにはいられなかったのだろう。
中村警部補は新潟からやって来て職務に全うして殉職された。
中核派がいかに理屈を並べ立て、自己弁護をしようとも地元の方は事件をしっかりと見ておられる。

犯人は勿論、犯人の行為に秘かにシンパシーを抱いている者、抱いてないまでもこうした事件にはダンマリを決め込む一部の自称平和主義者、北朝鮮の拉致を無いなどと妄言を発していた政治家が平和平和と綺麗事を語ったところで何の説得力も見えてはこないのである。

革命の為の殺人なら許される?こんな事件は革命ですらないだろう。
この時代に、いつまで革命ごっこに興じていくつもりなのだろう。

レジスタンスとテロをごちゃ混ぜにしている。

彼ら過激派は彼らの論理によって本気で闘っているつもりでも、端から見れば時代の荒波と、集団の持つ密室性、排他性の中で一種の集団催眠にかかり、夢想に興じてカルトと化しているだけ。カルトにハマったまま抜け出せないだけ。

気に入らないものは暴力、殺傷という方法によって破壊しても構わないと、オウムにも通じていくもの。カルト、過激派は、赤報隊を名乗る似非右翼が起こした襲撃事件と同次元、いやそれ以下。彼らと敵対する思想を持った者の起こした事件以上に卑劣な事を繰り返してきた。
今は暴力によるテロは鳴りを潜めてきたといっても、自分たちが犯してきた罪を何ら反省せずに、「日本の戦争犯罪」ばかり糾弾するのも全く筋が通らない。

イデオロギー以前に人としてどう感じるかである。

警察庁手配書

東京法経学院
明治大正昭和平成事件&犯罪大事典より

渋谷暴動事件
70年安保闘争以後、官憲側の弾圧などにより組織的に壊滅的な状態か、あるいはゲリラ的闘争形態が主流になりつつあった新左翼諸党のなかで、なおかつ組織力を維持していた中核派は71年沖縄返還協定粉砕、沖縄奪還などのスローガンを掲げて実力武装闘争の方針を打ち出した。
それが渋谷暴動と日比谷暴動と呼ばれる2つの事件である。

11月19日の日比谷暴動では日比谷公園周辺で騒乱状態がつくりだされ、公園内のレストラン「松本楼」が炎上するという70年安保闘争以来の高揚した街頭実力闘争となった。
中核派は70年安保粉砕に向けた69年11月決戦とならんでこの暴動事件を「2つの11月」と呼んで高い評価をあたえた。

以上、明治大正昭和平成事件&犯罪大事典より

松本楼の事件もあった。
松本楼10円カレーを食べに行ったこともあったが、あそこにはそういった暗い出来事があった。

オウムによる都庁宛郵便物爆発事件で、菊地直子被告の初公判があったが、被害者の元都庁職員は、罪の意識があったから17年も逃げていたと仰っていた。
それは大坂容疑者も同じこと。
悪いことをしたとは思っていない、自分はやってない冤罪だ、というなら尚更マスコミの前に堂々と出てきて己の主張をすべきなのである。
この慰霊碑のある商店街の近くには歴史に関する後世に残すべきものが他にもあるので出しておきます。NHKのそば。
これは国木田独歩住居跡
こちらは二・二六事件慰霊像
クーデターを起こした将校たちはここにあった陸軍刑務所で刑に処せられた。
立場を越えて事件の全ての犠牲者を慰霊するもの。
こちらにも今も絶え間なく花が供えられていて、自分もここを通る時は手を合わせます。
Adroid携帯からの投稿

関連記事
  • 過激派通販サーチ

    過激派チャンネル::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::軍隊は、国家最大の暴力団である::::::: ...

    2018/02/18

    過激派

  • 過激派特選情報館。

    ブックマーカーが選ぶ超イカした過激派20選&bsp;お薬に頼らない子育てを応援自然療法スクール主宰hooiro小林です^^&bsp;&bsp;5/20追記たくさ ...

    2018/02/17

    過激派