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過激派大特集、プレゼントにも喜ばれる商品が満載です

過激派
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過激派でビシッと格好よく

★北朝鮮には堂々渡航出来たが…(苦笑)&bsp;反米勢力『対米自立実行委員会』と『主権回復を目指す会』の月例街宣については先のエントリーで言及しました。&bsp;反米勢力と日米地位協定!(11月6日付)
https://ameblo.jp/arikadodaisuke/etry-12326188977.html&bsp;その対米自立実行委の一員である山口祐二郎(元『しばき隊』、元『男組』若頭)が先日、サイパン旅行を計画して米国側から入国拒否されたと自身のツイッターで自慢げに語っています。&bsp;&bsp;今年5月には北朝鮮にも渡航している反米分子なのですから、米国からの入国拒否は当然でしょう!&bsp;山口は北朝鮮には歓迎されても、米国からは歓迎されていません(笑)!&bsp;…多分、最初から入国拒否を分かっていて話題づくりのためのサイパン行き(?)だったのでしょうけど、月例街宣にも出ないで、この男は一体、何をやっているのでしょうね(苦笑)。&bsp;しかし、今回の山口の奇行は数々のことを示唆してくれています。&bsp;まず、サイパン旅行を希望(?)してパスポートを提示、アメリカ合衆国から入国拒否をされたとあります。本人がツイートしているので、入国拒否は事実なのでしょう。&bsp;おそらく、山口が過去、防衛省に火炎瓶を投げ込んだりしたという前科・前歴も調べた上で、アメリカ当局から「危険分子」「テロリスト予備軍」と断定されたものと見られます。&bsp;普通に旅行を計画して入国拒否なんて…暴力団関係者か過激派ぐらいなものですよ。&bsp;つまり、山口はそれと同等・同類に見なされているということです。&bsp;それを自分のツイートで誇らしげに「俺はアメリカから入国拒否された危険分子だぞ」と言わんばかりに語っているのですから、愚かですよね。&bsp;一方で山口は前述の通り、今年5月には北朝鮮を訪問して当局者と接したことも誇らしげに語っています。&bsp;そして、その山口と共闘しているのが前出の主権回復を目指す会代表・西村修平です。&bsp;過去、私は西村修平から、とある場所で「あなた(有門)、在特会とも共闘しているし、ハーケンクロイツ・デモが…」云々で、さも危険分子のように言われたことがありますが、危険分子は一体どちらなのでしょうか?&bsp;少なくとも『在特会』や「行動する保守運動」関係者がアメリカから入国拒否なんて聞いたことがありません。&bsp;アメリカから入国拒否の「お墨付き」を戴くような輩と共闘していることこそ、私には「反社会的」に見えます。&bsp;少なくともハーケンクロイツの旗は自由社会にあって市販されている物ですし、在特会・行動する保守のデモにしたところで「言論の自由」の範疇でしかありません。&bsp;この辺り、西村氏と懇意にしている自民党の区議会議員の先生や都議会議員の先生にも見解をうかがってみたいものです。「客観的に事実に基づいた評価として、どちらが反社会的に見えますか?」と。&bsp;今日の北朝鮮情勢と、北朝鮮による日本人拉致事件を絡めて訊いてみるのも良いでしょうね。&bsp;次に山口がサイパンという「米領」に渡航・入国を試みて、あえなく入国拒否されたことに注目して下さい。&bsp;サイパンという太平洋上の離れ小島と言えども、アメリカ領では入国管理・安全保障がきちんと機能しているということです。&bsp;山口祐二郎という反米分子一人の渡航さえも見逃さないということですから。&bsp;&bsp;もし! …沖縄県がサイパンと同様、米領に復帰(逆返還)したとしたら、山口のような反米分子は沖縄には「入国」出来ません。&bsp;沖縄には昨年、その山口の「兄貴分」である添田充啓(別名:高橋直輝=元『男組』組長=)が本土から赴き、米軍基地の建設妨害に参加。その過程で沖縄防衛局の職員に死んでいてもおかしくないほどの瀕死の重傷を負わせる事件を起こしています。&bsp;しばき隊・極左勢力とも共闘する男組などという暴力団紛いの組織の元ナンバー2であったという事実…これも山口が反米分子で反社会的と見なされ、サイパンへの渡航を拒否された一因ではないでしょうか。&bsp;その男組の元ナンバー2と共闘しているのが西村氏です。&bsp;西村氏と公私ともに懇意にされている自民党議員の先生方、どのようにお考えですか?&bsp;沖縄の話に戻りますが、もし、沖縄が米領復帰してアメリカの統治下になれば、全国各地から沖縄に集結している極左過激派分子は全て国外退去! 山口祐二郎のみならず、全ての極左・反米分子は日本本土から沖縄に入国することは出来なくなるでしょう!&bsp;必然、アメリカ合衆国の施政下になりますので『沖縄タイムス』や『琉球新報』のように、沖縄の世論を誘導して歪めている二大偏向マスコミはまず生き残ることが出来なくなるでしょう。&bsp;皆さん、沖縄の未来にとってバラ色だと思いませんか?
…蛇足ながらサイパンの歴史について簡潔に振り返ってみましょう。&bsp;古くはスペイン領でしたが、アメリカとスペインの米西戦争を経てドイツに売却されています。ドイツは流刑地としてサイパンを活用していましたが、第一次世界大戦の勃発で日本がドイツからぶん取りました。&bsp;しばらく日本統治が続いていましたが、第二次世界大戦を経て米軍の統治下に入り、その後、米国の信託統治領として国連で承認されて今日に至ります。&bsp;こうして見ると北方四島や竹島と同様、領土というのはつくづく時々のチカラ関係で実効支配が入れ替わっていますね。&bsp;唯一、沖縄県のみが平和的返還だったと言われますが、沖縄・本土復帰とて米国から日本への「売却」に過ぎません。&bsp;しかも、「沖縄返還協定」一つの破棄で、いつでも米領復帰する素地はしっかりと残されています。自衛隊に返還されたかつての米軍基地(埼玉・入間基地など)と同様、アメリカ様が日本の顔を立ててくれたもので、状況次第ではいつでも米軍の管轄下に戻りますし、それは沖縄県とてそうです。&bsp;そして日本国の主権下での失敗は、全国で一番貧しくなった今日までの沖縄県の状況が物語っているでしょう。&bsp;&bsp;山口クンがサイパンに行けるようになる唯一の方法を考えてみよう♪&bsp;沖縄県とサイパンの「等価交換」でも米国に働きかけてみてはどうか(笑)?&bsp;&bsp;第一、サイパンまで行って遊んでいるようなおカネ、あるの?&bsp;&bsp;&bsp;&bsp;

談合しない過激派

うまく書けるかな?自信ないけど書いてみる

昨日の夜、YouTubeで、北山修さんが、なぜ精神科医になったのか語っているラジオ番組を聴いた
そのなかで、フォークが滅んでいく様子について語っていた
コンサートは、いつも複数のグループが集まって行われたが、1970年代に入ると、そのコンサートが粉砕されるようになった
学園紛争に敗北した新左翼セクトが、コンサートを乗っ取り、集会にしてしまうのだ
北山さんは、占拠するなら最後に自分が歌うから、そのときにしてくれと交渉したこともあるそうだ
しかしやがてそんな交渉もできなくなる
コンサートは暴力の巷となった
もとは、いっしょに歌った仲間だったのに

いつしかコンサート会場にガードマンが配備される
「ステージに上がったり、騒いだりしたら、コンサートは中止します」というアナウンスが流れるようになった
学園紛争が終わったあと、新左翼は過激派と呼ばれるようになる
一部がどんどんと過激化していく
内ゲバも始まる
仲間は壊れた
そういえば、ビートルズのライブでは、よくジョン・レノンが、
サンキュー、フォークス!
言っている
日本語にすると、「ありがとう、みんな!」だろうか?
あらためてフォークとは、「みんなの歌」なのだと思う
その「みんな」は、憎み合う人たちへ変質していった
もうここにはいられないと、
フォークシンガーたちは、ちりぢりバラバラになる

「とことんやろうぜ!」と、ステージの上でロックミュージシャンが叫ぶ
ところが、会場には警備員がズラリと並ぶ
この矛盾
フォークシンガーたちが求めていた自由は、もうそこにはなかった
関西フォークのメンバーは、アメリカに行ったり、引退したりして、どんどん離れていく
加藤和彦は、ロンドンに行ってしまう
こんなふうに、みんな消えていった
売れている人たちは、巨大な音楽ビジネスに飲み込まれていく
それはもはやフォークではなかった
吉田拓郎が「群れることを拒否する」と言ったのもそのころだろう
もう「仲間」とか「みんな」は、いなくなっていたのだ
群れてる場合ではなくなった
そんな悲しい歴史があったんだね
それが1969年?1971年のころだ
フォークは消えて、吉田拓郎、井上陽水の時代に移っていくそこには「仲間」は存在しない
消費する客と、生産するプロがいるだけだ

1973年

ガロの「学生街の喫茶店」がヒットする

偶然だろうか?

?学生でにぎやかなこの店の片隅で聴いていたボブ・ディラン
あのときの歌は聞こえない人の姿も変わったよ時は流れた

という歌詞は、滅びたフォークのことを歌っているようだいや、そうなんだろうな
「もう自分のいる場所がなくなったと思った」と、北山さんが言っていた
やっぱり、音楽の革命も失敗したのだ
現実は情け容赦なく、洗い流していったのだ
夢を追いかけていた人たちがいたが、
夢は儚く消えていった

当時小学生だった僕は、そんなことも全く知らず、1976年に中学1年生になって、
中身のなくなったフォークを聴いて
なんかカッコいいと思ったけど、
中学2年になったとき、ビートルズにのめりこんだ
1977年のフォークは、形だけのフォークだったのだ
甘いラブソングがメインだったと思う
そしてだいたいが暗い曲だった
スピリッツを失っていたのだ
もう少し早く生まれていたら、リアルタイムで北山修の歌を聴けたのにな
そしたら僕の人生も少し変わっていたかも
だけど、あの暗い挫折と混乱も目の当たりにしたのかもしれない
それはどれだけつらかっただろう?
呑気でいられたのだから、よかったのかもしれない

そんな混乱の中で、心を傷めつけられた北山さんは、内科の医師を目指していたのに、精神科医になってしまう
そこに至るには、どれだけの苦しみがあっただろう
想像しがたい
それでも彼は、2013年に、こう歌った
?きっとあるさ、自由な空みんなあきらめても
地の果てまで落とされて飛べる翼、もがれても絶望せずに最後の天使歌を忘れはしない
こうなると、もう意地をはってるとしか思えないけど、

怖いほどの孤独を感じる
強風の中、一人で旗を支えているようだ

だけど、彼は旗は降ろさないだろう
心の中には、
数多くの仲間達がいるから
世間知らずで、甘くて弱い金持ちのお坊ちゃんは、
70過ぎた爺さんになっても、
がんばってるよ

シビれるよ

では、また

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